「彼らの曲は、聴く人に考える時間を求めてくる」〜小室哲哉



こんな記事みつけた。


小室哲哉氏が発表したエッセイ集「罪と音楽」の中で、なんとMr.Childrenの事について触れている。






「邦楽が腐ってしまったのは俺とつんく♂のせい。〝わかりやすさ〟を追求しすぎた」


90年代末になると、世間的には「小室ファミリーvsハロプロ」という捉え方もされ始めた。


小室哲哉vsつんく


だけど、僕の中では彼をライバル視したことはない。理由は、つんくさんは歌えるからだ。彼は素晴らしいボーカリストでもある。


(中略)
対抗意識はなかった。ライバルというより、むしろ共犯だ。


今の僕が「共犯」と言うと、微妙な空気になるので、「両輪」と言ってもいい。僕の勝手な見解としては、僕ら2人が両輪となり、拍車をかけてしまった現象がある。Jポップの「わかりやすさの追求」だ。21世紀に入った頃、実は僕自身も驚いていた。ここまで簡単にしなくてはいけないのか?と。



そんなわかりやすさを求める風潮に反旗をひるがえしてくれている代表格が、Mr.Childrenではないだろうか。彼らの曲は、聴く人に考える時間を求めてくる。


彼らのような音楽は、誰にでも作れるものではない。誰がやっても成立するものでもない。シンガーとしても類まれな資質、素晴らしい声質、そして技を持っている桜井和寿くんだからできる。


彼の声や歌に乗ると、考えさせられる歌詞やメロディであっても、スピード感を失わずに刺さるのだ。うらやましい。



小室哲哉・エッセイ集「罪と音楽」より抜粋




もう何も失うもののない彼が、自らの胸のうちを赤裸々につづったエッセイ集の中に、
まさかMr.Childrenという言葉が出てくるとは・・
驚きました。
確かに、ミスチルの音楽はこれだけの人気を保ち続けてきたものの、
流行歌・流行歌手とは一線を画した存在に感じる。
それは、ファンになる前から多少は感じていた事で・・・。



ファンになってさらに聞き込んでみると、また違った面が見えてくる。
昔のアルバムから最新作アルバムまで、時代順に聴いているのが非常に楽しいし、全く飽きない。


常に時代に挑戦するような楽曲を生み出しているという印象は、今も昔も変わらない。
アルバムは常に進化し続けているが、「時代に挑戦する」という点と「滞ることなく走り続けてゆく」というメッセージ性に一貫性がある。


それにもかかわらず、幅広く多くの人から支持や共感を得て、長く人気を保っているという事は、かえって不思議な気もする。



単純な分かりやすいものが、多くの人に受け入れられやすいのは当然の事だが、
ミスチルの楽曲は、決して分かりやすいものではなく、
何度も繰り返し聞いては、胸に沁みる楽曲ばかりである。
ある意味、聴きこまないと真価が伝わらない楽曲が結構多いと思う。
そのかわり、胸に入ってきたとたん、ミスチルの歌は「魂の歌」へと変化する。



「彼らの曲は、聴く人に考える時間を求めてくる。」
という小室哲哉のエッセイの一節は、非常に的を得た言葉だなぁと関心した。



ミスチルの楽曲は、時間をかけてひとつひとつの楽曲を自分なりに解釈してゆく楽しみが魅力のひとつでもあり・・・だからこそ、いつまでも心に深く刻まれる。


また昔の楽曲でも、聴く時代それぞれにぴたりと合うような普遍性を持った歌詞が多く、いつまでも色褪せないのである。


これは、浜田省吾さんの楽曲にも共通するところであるが、
彼とミスチルの違いは、ミスチルは常にヒットチャートを賑わせてきたこと。
浜田さんは、本当に素晴らしい魂の歌をたくさん持っているが、ドロ臭くて暗いイメージもつきまとう。実際にはロックでノリの良い楽曲が沢山あるんだけど、どうも女性からはあまりウケがよくない。(私は大好きだけど)


ミスチルは歌詞の内容は個性的ではあるが、曲はポップ感が強く、より多くの人に受け入れられやすい楽曲のように思う。
決して派手なパフォーマンスはないけど、複雑で繊細なサウンド
また、ポップ感の強い曲でも、桜井さんの歌声はそれと反比例しているので、楽曲が軽くなることがない。とても力強いものを感じる。


そんな色々な要素を持ち合わせているMr.Childrenだから、ファン層が非常に幅広いのでしょう。
かくゆう私は、結構マニアックでヘビー系な音楽を好むタイプで、まさかヒットチャートを常に賑わせているビッグネーム(昔はミスチルの事をそう理解していた)にこんなに心からハマるとは思わなかった(苦笑)