千葉伝説!!

六月のとある日、千葉にツーリングにいった。数年振りに、友人とそのダンナさまに再会!!
久々に会った印象・・みんな、すこーし、年をとった。
キャンプしよってことになって、ログキャビンに泊まった。
夜中に、ダブル・だんなのイビキがうるさくて、眠れんかったよー。
遠慮のない私の友人は、朝起きるなり「二人のイビキ、すごかった〜、ぜんぜん眠れなかった 〜」
と素直に語っていた。
そりゃぁそうだ。わたしはもともと耳栓して眠る人なんだが、
それでも、二人のダブルいびきはすごかった。まるでカエルの輪唱のよう。
順番に「がー」、「ごー」の繰り返し。延々に止まる気配なし。
私は、肌寒くて夜中に起きてしまってから、それから全くもって寝付けず。。。


この度の千葉ツーリングは、初・東京湾フェリーに乗ったんだ。
45分の短い船旅だが、なかなかオツなものでした。
横須賀まででるのが、チト遠い気もするが、アクアラインより楽しいかもしれない。
バイクだと、アクアラインは横風モロに受けるから、結構辛そうだ。
千葉は、人も少なく閑散としていて、ほんとに田舎って感じだ。
まだ攻めてない道路もたくさんあるので、これからはもっと頻繁に行ってみたいと思った。
地元県内より道が空いていて、走っていて楽しい。

(ダンナ曰く)伝説、ふたたび・・・

毎度、だんなと千葉へ行く度に、伝説を作ってくる、とダンナにヤジられる。
前回は、どさん子ラーメンのカレーラーメンの失敗談。
誰も頼まんだろう、そんなもの。というような顔されて、食べてみたらスープ薄くて激マズ!!
友人夫婦にも大笑いされ、ダンナには、いつまでもそのネタで馬鹿にされている。


そして今回は、ボウリング・マイシューズ失敗談だ。
ボウリング大会やるって言われたもんで、マイボールはさすがに持っていけないけど、
シューズはなんとかダンナに隠して持っていったのである。
そしたら、ダンナにはヤジられるし、友人夫婦にはウケるし、
そんでもってボーリングもかっこよく決められれば文句もないけれど、
なんせハウスボールですよー。まったく打てず。
もちろん、こんなものだと思ってはいたんだけどさ。


1G目は予想以上にひどかったので、友人夫婦もシーン・・・
(というか、練習だったのでも元々打とうと思ってないだよ〜、わかってくれ〜)・・・
2G目は大分よくなったけど、ダンナに勝てず馬鹿にされっぱなし。
しかも、今はたまーにしかやらないダンナがハウスボールでそこそこかっこよく打ってるんだよ。
さらに追い討ちをかけるように、友人のダンナさん、2G目にいきなり200UP・・・・(もちろん、ハウスボールのシロウトさんです、ハイ)。
・・・立場なし。週に4回も通っているなんて事も知られてるし〜。
私自身は、最初から自分に全く期待してなかったんだけど、
友人夫婦は妙に期待してたらしく、その反応(ドン引き?)に困った〜。
落ち込んでないのに、だんだんヘコんでくるよー。
しかも、シューズもっていった事が裏目に出た。
自分にとっては、足を痛めたくないためだけに持っていったつもりなのに、勝気満々で持ってきたと誤解されたらしい。
いくら弁解しても、ダンナがすべてを覆す発言をする。語れば語るほど、言い訳がましくなるのだ。
あんたは、一体、だれの味方だ?!私の味方でないことは確かだ!!

伝説、三度(みたび・・・)

(ダンナ曰く)伝説は、そこで終わるはずだった・・・・しかし・・・・まだまだ続く。
とある蕎麦屋での出来事。
バス釣りに興じていたダンナ二人を置いて、私たちは二人でツーリングマップルに載っていた評判よさそうな蕎麦屋にきたのだが、
後から友人のダンナさんから、自分たちも一緒にお昼をとるー、とメールがきたために、
友人は湖まで迎えにいった。
その間に、先に私たち二人が頼んだセイロがやってきた。
直前に、隣でカモ蕎麦を食べているのを目撃した私は、あまりに美味しそうで、
ここの名物だと早とちりして、注文を変えてもらおうと頼んだが、もう間に合わなかった。
あとからやってきたダンナが、セイロ大盛りにしたいっていうから、
大盛りはないからこのセイロを食べてくれないかな、と頼んだ。
そしたら、他のものにしようかなぁ〜などと言い出した。
結局、セイロを頼もうとしたので、私がカモ蕎麦注文したいから、交換してよと頼んだが、
ダンナさまは、最後までなかなか承知しない。
結局は交換してもらったんだが、新たに頼んだカモ蕎麦を食べながら、
私は、ついうっかり馬鹿なことを口走ってしまった。
「カモ蕎麦がここの名物らしいよ」
それを聞いたダンナの私への呆れはたてた顔。友人には大ウケされ、友人のダンナさんにはドン引きされ、
余計なこと、言っちゃった・・・。
だんなには、その後も(今もなお続いているが)ネチネチと嫌味を言われ続け・・・。
かくして、千葉の伝説は、ダンナによって延々と語り継がれてゆくのでした。